| 銀河2006 ('06夏-国鉄を求めて<2>) |
| 2006年夏、名門寝台急行「銀河」で東京から大阪へ向かいました。 国内で寝台列車に乗るのは19年ぶり。寝台の定期「銀河」に乗るのは26年ぶり3回目です。最初の「銀河」乗車は1976年春、20系化されて間もない頃、自分にとってはじめての寝台列車の旅でした。2回目は1980年夏ナロネ21での初A寝台乗車。いずれも20系+宮原ゴハチ時代で特に1980夏はゴハチからPFへの切り替え直前という時期でした。 その後、「銀河」は短い14系時代を経て現在は1986年来脈々と続く2段ハネ24系25型編成です。しかし今回注目したのはハネの方ではなくロネの方です。というのも未就学児の長男とひとつの寝台利用を狙っていたのでその寝台幅が魅力でした。90cm超の幅をもつプルマン式開放室A寝台オロネ24は今回のような利用前提では個室といえど70cm幅の寝台のオロネ25よりずっとありがたい存在です。 さて、こういう長距離列車の旅を楽しむならやはり入線風景も楽しもうと始発駅からというわけで、敢えて横浜や大船からではなく東京から乗車。かつての東京駅12・13番線の華やかさはもはや9・10番線にはほとんど感じられませんが、サンライズが出て行ったあとに一本おいて銀河の入線で、優等列車用ホームの雰囲気を垣間見ることができます。かつては品川客車区を出てきた寝台列車は一旦神田方面へ引き上げて、またはホーム無し機回し専用番線「11番線」を使っての機回しが当然でしたが、かなり以前から次の列車の釜に牽かれてくるプッシュプルという味気ない形態が主流になっていました。最終客レの銀河はどうしているのかと思っていましたが、嬉しいことに機回し運用です。まず「回送列車」としてその日牽引のPFに牽かれ10番線へ22:28頃入線。一瞬の停車ですが、電源車を撮る事が可能です。 ![]() この日の電源車は貫通扉付き切妻タイプのカニ24-100、カニ24-103でした。自分的には、0番台のそれもマイクロスカート付き初期型が好みですが、この100番台もおそらくその初仕業だった定期に先行した二段ハネ臨時「あさかぜ52号」で東京駅で見て「これが新しい電源車かぁビジネスライクな顔をしていて車体は長いんだなぁ」と感想を持ったこともありそれなりに思い出はあります。 短い停車時間のあと編成は一旦神田方面へ引き上げていきます。その後、22:41頃、機回しのため9番線の神田寄り端にPFが単独で入線。 ![]() 今日のPFはEF651113。さくら・はやぶさ・みずほ・富士・出雲・あさかぜ・瀬戸…数々の東京発寝台特急の先頭に立ったであろうかつての東京機関区所属機です。 神田方面での機回し後、いよいよ9番線に入線です。この日は22:52を過ぎての入線。10分以下の停車時間です。ちょっと慌しいですね。このくらいの長距離列車ならせめて20分前ぐらい前に入線してくれて出発までのひとときを楽しませてくれると良いのですが…。 ![]() オハネフは切妻100番台…だと思います。改造で新しい番台区分でもできていなく、折妻0番台、切妻100番台、半切妻200番台の識別が今でも有効なら…。気になるジャンパ線…なんだ?かつてのあさかぜ・瀬戸用のパンタ昇降用? ![]() ![]() 夏休みということもあってか、編成は電源車1輌・A寝台車1輌にB寝台車を7輌従えた9輌フル編成。最盛期からすれば短いかもしれませんが減車時の7輌とくらべればこれでも堂々たるものです。オハネフ撮影後、1号車のオロネに急ぎます。本日のオロネはオロネ24 6。 寝台はもっとも前方の海側、2番下段です。寝台に乗り込み荷物を整理してほっと一息いれると、発車。昔のような汽笛一声はありませんが、やはり客車使用の寝台列車の始発駅出発にはなんともいえない旅情があります。そして「客車オルゴール」のあとに続く車内放送。この「客車オルゴール」、いつ聞いても本格的な「旅」を感じさせてくれます。 急行列車なので、東京を出るとすぐに品川。お盆の時期とはいえ、終電まであと一時間弱を残した平日の東海道線下りホームだけあって帰宅の途に着く会社員の姿が結構見られます。ふつうならカーテン閉めますが、こどもが張り付いて外を見ていたので、品川ホームでもカーテン開けっ放し。無関心を装うサラリーマン、こどもが張り付いている様子を見てびっくりしながらも笑って見ているOLさん、自分も普段はあの人達側にいるのですが今日だけ特別です。日常環境の中を行く非日常空間がなんとも言えません。 A寝台の乗車率は結構あって満席でこそありませんが、そこそこ乗っていました。夏休みということもあるのでしょう。自分たちと同じ父子でという方もいらっしゃいました。 品川を出ると車内放送で、横浜を過ぎてしばらくすると車内灯を減灯すること、置き引き等に注意し貴重品の管理には十分気をつけること、この放送を以って明朝大津到着前まで車内放送は行わないことが告げられます。この放送も寝台列車に乗っていることを感じさせてくれる放送です。 横浜を出たあたりから雨が窓を叩き始め、自宅から約1km地点通過時はやはり雨でした。やがて最寄り駅東戸塚を通過し、日常の風景の中を行く非日常を楽しみます。大船ではほとんどホームに人は見られませんでした。引き出しが上手かったりまずかったり(^^;)で、たまにひどい衝撃を伴って出発することもあれば、スゥッと出してくれたりもします。汽笛はほとんど鳴らしませんが、それでもたまに鳴らしてくれると機関車に一番近い位置に居るだけあってよく聞こえます。やはり寝台列車には65の甲高い汽笛がよく似合いますね。小田原に着くぐらいまで初めて乗る寝台列車の興奮でなかなか寝付かなかったこどもも熱海到着時にはすっかり寝息を立てていました。 熱海を出て、来宮に185系が留置してあるのをぼんやり眺めていると程なく丹那トンネルです。昭和9年に開通したこの在来線の方のトンネルを通るのは何年ぶりだろうと思いながら、音を聞いていると狭いトンネルに反響し、電機の音か、電源車のディーゼルの音か、轟音に混ざりながら時折シュッとパンダグラフが架線を擦るような音も聞こえてきます。 トンネルを抜けると函南、通過時にピッと汽笛を鳴らしてくれました。夜中の汽笛に妙に感動…。三島、沼津通過。ここでごろんと横になるとしばらくして停車です。次の停車駅静岡まではまだまだあるはずですので運転停車ですね。富士だったのでしょうか。 かなり長い間止まったあと、ガクンと派手に(^^;)発車。 ここで、車体端の洗面所に行って、さらにその先の「A寝台」と裏文字で書かれた引き戸を「まさか開かないよな」と思って引いたら開きました。そして今度は「荷物室」と書かれたドア…「まさか開かないよな」と思ったら…開きました(^^;) おぉっと、こんな体験滅多にできないぞと思って、ちょっと取材(?)。 ![]() 車体荷物室端から荷物室を望みます。左側のドアは乗務員室。当然誰も乗っていませんでした。 ![]() 乗務員室を通り越えて荷物室の様子です。かつて主に新聞輸送や、その他にも「寝台特急で扱う小荷物」として時刻表上で利用方法を明記し一般個人客も対象としていた小荷物を運んだ荷物室です。 奥に見える扉は電源室のドアです。因みに「まさか開かないよな」と思って開けようとしたら…開きかけました。…が、緊急停止でもしたら(するわけないけど)怖いのでエンジン室までは取材(?)しませんでした。 ![]() 電源室側から荷物室を望みます。緑のボンベには「炭酸ガス」。万が一エンジンかr出火したときのための消火用でしょう。パイプを通して電源室の中に繋がっているようでした。 ![]() 絶対盗まれたことないであろう室内形式票です。ほとんど誰の目にも触れることは無いでしょうね。 というわけで、「立ち入り禁止」とは書いていませんでしたがあまり感心することでもないので、もしどうしても銀河のA寝台に乗ったときにカニの中を見たくなっても長居は無用です。因みに貫通ドアが開いているのは、オロネのデッキは2号車側にあるから万一、車室で火災でも発生した場合、逃げ道はカニ側だけで、そこにはオロネの出入り口はないためカニとの間の貫通扉を施錠して無いのかなと思いました。 とバカなことをしているうちに静岡に到着。7分の停車時間があるのでホームに出てみました。ホーム端に止まるので、PFの正面の撮影は無理でした。 ![]() 前はホームいっぱいぎりぎりです。 ![]() 大阪行き急行のA寝台車入り口。静岡での乗降は多分0。 ![]() 静岡では、66-100牽引の高速貨物に路を譲りました。東京大阪を有効時間に収めるためには、貨物列車より遅く行く必要があります。夜の東海道の花形は今や寝台特急ではなく高速貨物ですね。 静岡も発車したので、寝ることにしました。どう感じるかは人によると思いますが、少なくとも銀河に好き好んでのる自分にしてみたらこの揺れと音が心地よいです。うとうとしてたらながーい汽笛にまた感動…至福のときです。そうこうしているうちに静岡西半分と愛知・岐阜は完全に夢の中でした。 さて今回乗車のオロネ24 6ですが、24系(24型)のA寝台車として1973年に9両製造されたオロネ24のうちの一輌です。もともとは関西系のあかつき・彗星の新型寝台化用に同列車でデビューしたようですが、その後、1975年3月のはやぶさ・富士・出雲の新型寝台化に合わせて品川に移ってきたときの当時のオロネ24が自分にとってもっとも身近に感じることができたオロネ24だといえます。はやぶさ・富士・出雲の24系24型時代そのものは僅か1年半と一般には印象に残らない時代だと思いますが、この時期によく沿線に寝台特急を見に行ったり、また何より初めての寝台「特急」乗車がこの24系24型「富士」「はやぶさ」だったので自分にとっては特別な存在です。そのときはもちろんB寝台でしたがその編成にはオロネ24が連結されていました。ひょっとしたら自分が乗った「富士」か「はやぶさ」の編成にこのオロネ24 6が連結されていたかもというのも確率的まったくあり得ないことでも無いような気がします。今となっては調べようもありませんが…。あの短い1年半が24系24型型にとってもっとも輝いていた時期では無いでしょうか?A寝台、食堂車(もちろん営業)を組み込んだ編成で東京発名門寝台特急に使用され、夏休みなどはキップを手に入れることすら難しかった新型寝台黄金時代。寝台使用時間帯外の距離も相当ある3段ハネ及び開放室A寝台使用列車ということで寝台のセット及び解体をきちんと行っていた最後の時代。日中は日中の、夜間は夜間の室内風景をきちんと持っていた最後の時代…。あのときと同じ東海道をひた走るオロネ24です。 5時前に一旦目が覚めましたが5時に停車したはずの岐阜の記憶はまったく無いまま、5:40に米原到着です。6分の停車時間があるので眠い目こすりながらホームへ出て見ました。 ![]() 嬉しいことに米原ではホームにかなり余裕を持って停車してくれるため牽引機を撮る事ができました。いまや唯一定期の寝台列車を引いているEF65です。ひょっとして65唯一の定期旅客列車運用かな?特急色のクリーム一号の高さが何に合わせてあるのかを見せてくれる唯一の列車になってしまいました。 さてPFを撮影して寝台にもどりカーテンを開けると、隣の線路をEF200牽引の高速貨物が抜いていきました。そのための待合停車だったんですね。こんなところでEF200に抜かれることがわかっていたならオハネフの最後部貫通窓から撮ればよかったとちょっと後悔。 EF200に抜かれてしばらくすると、発車。 ![]() 米原の構内を出てしばらくするとこんなものが目に入りました。一般見学できるのでしょうか? 野洲・栗東・膳所と読み方に教養の高さを試されているような滋賀の駅を通過、また膳所より前になりますが草津を通過しかつての京阪神ミニ周遊券の圏内。ここから先はなんとなくなじみ深いエリアです。 せっかくの寝台列車の旅、朝の部も短時間ながらも経験させようとちょっと早いですが、こどもも起こし前の日に家から持ってきたおにぎりで簡単な朝食。テーブルが使える下段はありがたいです。ベッドに座って流れゆく朝の風景を眺めながらの朝食。やがて大津到着前に朝一番の車内放送。もちろん客車オルゴール付きです。 さて、ここで片方だけベッドから椅子へ一瞬だけコンバージョン。「昔はこうやって椅子にして昼は座っていたんだぞ。お前の死んじゃったおじいちゃんんもよく乗ってたはずだ(亡父は仕事の関係で山口県へ出張の機会が多く、その際、開放A寝台までの利用が認められていたようで、よく「特急券・A寝台券」を持って帰ってきてくれました。)」と実地で説明。モケットがブルーになっていました。本来A寝台は淡いグリーンですね。 大津を発車後、山科の大カーブを通過しトンネルを過ぎれば京都です。米原で降りた人も見ましたが、実際人の動きがあるのはこの京都からでしょう。 京都からは列車線(今は新快速もこの外側の列車線を行くのですね)。かつての向日町運転所(現在の京都なんとか)の側を通るときは、今も昔もわくわくですね。はじめて目にするこどもは、知らない車輌、プラレールや本でしか見たことの無い車輌に目は釘付けです。かつてここを通るときもっとも大阪寄りの留置線に必ず停まっていたのが「安芸」の20系でした。新大阪下関(呉線経由)の短距離寝台特急だったため夜遅く出て朝早く着くので日中は必ずここにいたんですよね。そんなことを思いながらも、今でも車輌のバリエーションには事欠かない光景を見てなんとなく安心(?) 一度は行ってみたいと思いながら一度も行ったことのない名撮影地山崎を過ぎて大阪府に入り、そして個人的には関西圏でもっともなじみの深い駅高槻を過ぎて、しばらくいくとやがて車窓には吹田界隈。いつも撮ってるEF200やEF66の本拠地を目にし、しばらくいくと工場。この吹田工場にある完璧に復元された流電をチラッとでも見るのがここを通るときの20数年来の(?)楽しみです。しょっちゅう通るわけではないので場所の特定が難しいのですが、今回は久しぶりだというのに建物の陰にマルーンとクリームの車体を確認!あっさり解体された合の子ゼロナナ・ゼロハチ(クモハ53007・クモハ53008)の分までずっと綺麗に保存されていきますように…。 やがて東京発の一番の「のぞみ」が着くより1時間17分早く新大阪に到着。因みに東京を出たのは、最終のぞみ発車の1時間42分後のことでした。 新大阪を出て程なく終着の大阪です。 ![]() 大阪駅では牽引機を撮る位置に止まってくれました。 8時間18分の旅。まだまだ乗っていたい気もしますが、その行程のほとんどが真夜中ということもあって、外の景色などで現実を目の当たりにする機会が少ないので、本当に国鉄時代へタイムスリップできる列車だと思います。今走っている定期列車のなかではもっとも国鉄色を色濃く残している列車のひとつといって良いでしょう。まるで列車全体に末期国鉄が動態保存されているかのようです。65に牽かれる24系寝台という姿で夜の東海道をいくさまはC62に牽かれる旧型客車という姿で宇宙を行く銀河鉄道999のよう…。こんな列車が毎日ごく普通にそれが当然の如く走っている今、なくならにうちに是非乗っておくことをお勧めします。 |